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2005年7月、使わなくなって15年が経過し、廃棄処分することにしました。思い出の品を処分するのは、なかなか決心がつかず大変です。最近よく聞く言葉に断捨離(だんしゃり)があります。断捨離とは、不要な物を断ち切る、片付けの方法と考えられていますが、元々ヨガの考え方で登録商標でもあります。 ワープロは「Illustration & Photograph」と直接関係ないようにみえますが、過去の行動や技法などのアイデアを記録しておく大事な役目を担っていました。ここに記述された内容が、その後役立つことは多々あり、単なる「思い出の品」以上の存在でした。 オフィスにもパソコンが導入されることになり、タイピングの練習のため家電量販店で購入したものです。ワープロもパソコンも、ローマ字の配列は同じで、しかもタイプライターとも同じことを発見し、タイプライターの教則本を参考にローマ字入力によるブラインドタッチの練習を開始しました。 ブラインドタッチをマスターすると、キーボードを見る必要がなくなります。これにより、原稿または資料と、モニターだけに集中することが出来ます。 1989年12月9日(土) 10ヶ月後、4行しか表示できないこのワープロはその役目を終え、パソコンに移行しました。 【以下は、すべて日誌からの抜粋です】 1990年10月7日(日) NECのPC-9801RX21を購入する。内蔵40MBのハードディスクを付け、サンヨーのノングレア0.31ピッチのCRTと、さらにマウスをおまけに付けさせ、318,000円とした。プリンターはとりあえす購入を見送った。当面のワープロソフトはP1EXEに決定する。 1990年10月14日(日) 本日より、P1EXEによるワープロ日誌を試みる。文書編集能力はHW-955より格段に優れているのは当然であるが、そろそろ体も慣れてくるようになった。まだ書式はHW-955当時のものを踏襲しているが、これも徐々に最も優れた方法を研究しながら漸次変更していく予定である。 1990年10月15日(月) 本日を持って、カシオHW-955によるワープロ日誌を終了する。昨日よりPC-9801RX21による、パソコンワープロ「P1EXE」に移行した。 【補足】 P1EXEでも初期段階から漢字変換ソフトはATOKを使用していました。 なお、タイピングがどのくらいのレベルに達したのか、腕試しのつもりで、1993年7月ワープロ検定試験を受けました。
1996年 3月30日(土) 朝刊の折込広告で、地元の家電量販店から富士通のタワー型DOS/Vパソコンが安売りで出ていた。総額290,000円 だった。 1996年4月1日(月) 本日より富士通パソコンFMV-DESKPOWER TE のWINDOWS版一太郎により、業務日誌を開始する。P1EXEにより、1990年10月14日から1996年3月31日まで1日も欠かさずに約5年半、NECのPC-9801RX21で作成していたものである。 1996年5月5日(日) 本日より、カシオのワープロHW-955で作成した初期の業務日誌を一太郎で再入力する作業を開始する。FMVの3モードフロッピーディスクでも、カシオの文書データは読み込めない。しかし一太郎6.3の高速検索機能は、P1EXEよりも圧倒的に速く、カシオで作成した1990年の記録を、有効利用するために開始した。 1996年6月9日 カシオHW-955版業務日誌 再入力完了 2001年8月14日(火) 友人が組立てた自作PCの提供を受けることになった。HDDは容量2.5GBから40GBへ交換、アクセススピードよりも信頼性重視、予算は1万円台の前半と希望する仕様を伝える。画面の解像度が1600×1200ピクセルになっていたが、これでは文字が小さすぎて実用的ではない。そこで1ランク下げて1280×1024(6万5千色モード)とする。 2001年8月16日(木) 鍛え抜いたATOK13に変更するため、ユーザー登録単語Atok13u1.DICを上書きでコピーする。これによりDESKPOWER TEと同じ日本語入力環境が整い、文書作成は新しいPCに移行する。一太郎10は、DESKPOWER TEにくらべ劇的に処理速度が向上した。最近は日誌にJPEGなどの画像を貼り付けることが多くなり、2001年の日誌はすでに3MBを越えている。読み込み・保存・スクロールにストレスが感じられるようになっていたが、それらの問題が一気に解消する。 |
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ニール・セダカが歌う 「The Diary」 ( 邦題では「恋の日記」 ) で、 ワープロやパソコンの日誌は、パスワードを設定すれば、現代版「鍵の付いた日記」です。 |
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