2017年元旦 祖母の米寿を祝うため集結した大人になったファイブマン。1990年3月2日から1991年2月8日まで、テレビ朝日系列で放映され、メンバー全員が兄弟という設定の「地球戦隊ファイブマン」 この番組になぞらえて当時近所に住んでいた二人の甥と姪を加えた5人をファイブマンと呼んでいました。放映当時、3歳〜7歳だったファイブマンは皆同じ幼稚園、小学校に通い本当の兄弟のような生活をしていました。あのころを回想して、「ファイブマンの時代」と呼んでいます。
日産ラルゴとファイブマンは共に歩んだ歴史があり、5人で行動するときは必ずこの8人乗りのワゴン車がありました。
以下はファイブマンとの思い出の中から、三重へ旅行したときの部分の抜粋です。
1993年8月8日(日)雨
4時起床。二家族合同三重旅行に出発。6時に、総勢9人で三重に向かう。東名高速で浜松に行き、そこから国道1号線で浜名バイパスを通り、伊良湖(いらご)岬に出る。フェリーの順番を待つため、近くの休憩所で食事をし、12:50のフェリーで鳥羽に渡る。14時頃到着し、夕方、地元の鰻の店、「川八」に行く。
1993年8月9日(月)雨
三重旅行2日目。総勢8人で三重見物をする。8:30頃、出発し二見浦(ふたみのうら)に向かう。夫婦岩を見物し、11時頃、伊勢神宮に行く。途中渋滞し、駐車場も混んでいた。今年は伊勢神宮の遷宮の年だった。雨であったため、伊勢神宮の中は歩いてお参りしただけで、すぐに赤福の本店に行く。そこで抹茶と赤福を食べる。抹茶を注文した客は、奥の茶室風の座敷に入れるようになっていた。ここは初めて入った。
その後、赤福の社長が作ったという、昔風の町並みを再現した「おかげ横丁」に行く。子供達はみやげ物店で買い物をする。この横丁は先月出来たばかりであるということであるが、伊勢の名物となると思われる。
14時半頃、伊勢を後にしたが、二見浦に向かう道路が渋滞していたため、伊勢志摩スカイラインを通り鳥羽に戻る。晴れていれば景観が良い道路であると思われるが、霧で視界が数十メートルまでしかなかった。有料道路の終点のドライブインで、食事をする。17時頃、鵜方に戻る。
1993年8月10日(火)雨
三重旅行3日目。10:30頃、鳥羽に到着し、鳥羽水族館に入る。鳥羽の水族館は期待していたほどのものではなかった。新館にも行ったが、雨がひどくなり、半屋外のアシカのショーなどが見られなくなったため、15時頃、鵜方に戻る。
1993年8月11日(水)晴
三重旅行4日目。帰る日になってようやく晴れた。6時にラルゴに全員乗り、鵜方を後にする。鳥羽のフェリーは空いていて、7:20発伊良湖行きは、車2台とバイク数台、乗客は全員でも20名くらいの貸し切り船であった。伊良湖で少し休憩した後、往路と同じコースで、途中牧ノ原と富士川のサービスエリアで休憩し14時に、祖母の家に到着する。
ファイブマンはそのまま、祖母の家に泊まることになった。
【約100ページにおよぶ旅行記全文は「ファイブマンの時代」というタイトルですでにPDF化されていて、いつか手渡す予定です】
|