年表最後の3行は、社会貢献を兼ねて高齢者介護施設の送迎ドライバーを勤め、子供の頃憧れだった乗物の運転手になることができました。おかげさまで無事に退職することができましたが、このときの勤務は貴重な体験となりました。
勤務する前までは、地元の道はすべて熟知していたつもりでしたが、まだまだ知らない道を多数発見しました。自費で購入した明細地図が大いに役立ち、これは退職後の記念でもあり財産になりました。
ワゴン車の内輪差は、感覚として体得していたつもりでしたが、送迎用のハイエースではサイドミラーで確認する技術を身につけました。さらに満席状態では目視でリアウインド越しに後方を確認することができないため、サイドミラーだけを頼りにバックする技術も習得しました。
ブレーキングの技術として、見通しの悪い道路を走行する際に、ブレーキペダルの上に右足を置いて、急制動に備えていましたが、その必要は無く、むしろ余裕を持ってペダルを緩やかに踏むことが、やさしい運転となり効果的であることも体得しました。
さらに時間の使い方も効率的になりました。それまでの仕事では、5分程度は時間の内に入らないと考えていましたが、5分あれば、結構いろいろなことが出来ることを知りました。時間の使い方、準備や段取りの重要性を知りました。利用者の送迎計画もその一環でした。
今まではすべて一人で完結する職務であったため、時間の管理の自由度が高く出勤時刻ぎりぎりにタイムカードを押す、という習慣が自然に身に付いていましたが、介護施設はチーム作業なので、誰よりも早く出勤し、当日の業務の確認・準備をするという習慣が身に付きました。
最後のサラリーマン生活を過ごすのに、とても有意義な時間だったと言えます。同僚だった元路線バスの運転手だった方とのチームプレイや、そして命を預かる大事な仕事を無事故で過ごすことが出来たことはなによりでした。
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