明神池のある上高地へは二度訪れました。最初は1998年8月、二度目は2005年7月、写真は後者のときのもので、河童橋付近から見た梓川と穂高連峰です。以下は当時の日誌から抜粋しています。
1998年8月9日(日)出発時は雨、上高地は晴
二家族合同旅行1日目。4時起床する。8人乗りの日産ラルゴに家族4人が乗り込み、K子女史家族とA氏の運転する新車カルディナで出発する。カルディナにはカーナビゲーションが搭載されているが、最初の目的地である上高地まではラルゴが先行する。
129号線で北上し、厚木から東名に入る。伊勢原あたりで携帯電話のテストを行う。今回の旅行に初めて持参し、交信テストを行う。結果は良好で、音声も明瞭に聞き取れたようであった。東名の御殿場で降りて、須走りから東富士五湖道路に入る。そのまま中央高速に入り、大月を経由して双葉サービスエリアに向かう。途中でカルディナが先行するが、携帯電話で連絡を取り合い位置を確認し合うという方法が取れるため、昨年までのようにコンボイを組む必要はなくなった。
出発してから御殿場付近までは雨であったが、勝沼を過ぎるあたりから晴れ間が出てきた。双葉サービスエリアを出発し一気に松本インターチェンジまで行く。ここで一般道に降りて上高地を目指す。安曇村に入ったあたりから、携帯電話の圏外となり交信は不能となる。国道158号線で沢渡(さわんど)まで行き、村営駐車場に止める。1日500円であった。国道からやや離れた村営の駐車場はかなり大きく観光シーズン中でも、余裕があるように思われた。ここから上高地にはバスかタクシーに乗らないと入れないが、家族4人で乗ると、タクシーとバスの料金の違いはほとんどなくなる。そこでタクシー2台に分乗して上高地に行く。上高地の駐車場まではタクシーは約5,000円であった。途中狭いトンネル内が交互通行のため、かなり長い信号で停止させられる。途中大正池と、大正池を生んだ焼岳を見る。タクシーの運転手によると焼岳は活火山であるというが、噴煙は今日は見えないという。10時頃到着した。
初めて訪れる上高地は、ゴミもなく渓流は澄んでいて、天候も良く穂高連峰がよく見えたが、頂上付近には雲がかかっていた。穂高連峰は上高地から見ると屏風のようにそそり立って見える。河童橋を渡るが、かつて写真で見た河童橋よりも実際には平凡な橋であった。旅行ガイドブック等で、上高地の散策ルートを研究し、大正池から歩いて河童橋に行くというコースを考えていたが、2台に分乗したタクシーが直接河童橋近くの駐車場まで行ってしまったため、河童橋から散策するコースに変更する。A氏の乗ったタクシーの運転手が、明神池まで歩くコースを推薦したということで、9人全員で片道約3kmのハイキングコースを歩く。途中は水の透き通った湿原で、随所で写真をチノンCP−9で撮る。そうこうしているうちに、遅れをとり後を追いかける。やがて追いつくが、すでに皆疲れていた。まもなくして、前途の多難さに断念した先行グループが退却してくるが、初心貫徹で明神池を目指すことにした。
約1時間歩いて、明神池に到着する。眼前に明神岳が塔のようにそびえ、明神池には拝観料250円を払って入るが、透明度が高く岩魚が群をなして棲んでいる。池の回りを散策して木造の古いロッジ風の旅館で岩魚定食(1,790円)の昼食を取るが、食事中に地震がある。ゴーという地鳴りと共に、建物が揺れる。食堂の戸棚からガラスコップが落ちて割れた。他に10人くらいの客がいたが、突然の地震に驚く。震度4〜5程度であった。しかし地震で戸棚からガラス類が落ちて割れたという経験は初めてであった。
食事をしてすぐに外に出る。すると再び地鳴りの音と共に、立っていてもわかる揺れが起こった。先程まで食事をしていた木造のロッジが揺れているのがわかる。崩れ落ちるのではないかという揺れであったが、外観の被害はないようであった。近くにいた多くの観光客も驚く。観光客の一部が明神岳を指さしていた。その方向を見ると、明神岳の頂上付近の岩場から、落石があったのか土煙が上がっていた。最悪の場合、河童橋までの帰りの退路が断たれる可能性があったため、早めに帰ることにした。
14時頃、河童橋まで戻る。帰りは下りということもあり40分くらいで戻れた。帰路の途中でも、何回か地鳴りと揺れを感じる。河童橋で合流するが、皆昼食はあんパン程度しか食べていないという。河童橋付近のレストランは混雑していて、食事はできなかったという。河童橋付近でも揺れを感じたという。
帰りもタクシーを利用することにしたが、100人程度の行列が出来ていた。30分ほどタクシーを待つ。その間にも大きな地鳴りを伴う揺れを感じる。立っていられないほどの揺れではないが、目の前にある鉄筋コンクリートの建物が揺れているのがわかった。付近の観光客らも一様に驚くが大きな混乱はなかった。
全員で2台のタクシーに分乗し沢渡まで戻る。タクシーの運転手によると、昨日あたりから地震が頻発しているという。子供たちには貴重な体験となった。
村営駐車場のラルゴとカルディナで、本日の宿泊先である、飛騨丹生川温泉にある朴の木平(ほうのきだいら)に向かうが、ここからはカーナビゲーションを備えたカルディナが先行する。再び上高地の入り口である、釜トンネルまで行き、昨年12月に開通したという安房(あぼう)トンネルを抜け、20分くらいで朴の木平の「ジョイフル朴の木」に到着する。16時頃チェックインする。
ここは目の前が朴の木平スキー場で、スキー客のためのロッジである。夏期は約8千円という格安で宿泊客を泊めているが、部屋にはバス・トイレはおろか水道もない。ベランダはあるが、ベッドが2つ入っているだけのビジネスホテルのようなものであった。ツインルーム4部屋に別れて泊まる。
館内に遊戯施設はなく、子供たちは何回も温泉に入る。硫黄(硫化水素)の臭いがして、湯ノ花と呼ばれる白い浮遊物のある風呂であった。
18時より夕食となる。メニューは料金のわりには豪華で岩魚、ステーキ、天ぷら、刺身等が並び、全員が満腹となる。21時頃には就寝する。
【5年後の2003年5月、10年乗った日産ラルゴは車検を機に手放す。10月より当時の石原東京都知事によるディーゼル車NO作戦が開始され都内への乗り入れが出来なくなる】
2005年7月30日(土)晴/曇
K子女史が主宰するグループの父兄らと安曇村に向かう。昨日借りたタバコ臭いワゴン車日産キャラバンは、昨夜から車内に芳香剤を入れておいたところ臭いはほぼ消えていた。
キャラバンは秦野中井から東名に入り、5時に足柄サービスエリアに到着する。三菱デリカや、日産エルグランドが到着していた。3台のワゴン車が次の休憩地点である中央高速の諏訪南サービスエリアを目指し出発する。
御殿場で東名を降りて東富士五湖道路を経由し中央高速に入る。キャラバンは2000ccのノンターボディーゼルで、上りの勾配がきつくなると80q/h位しか速度が出ない。途中、双葉サービスエリアで休憩し、諏訪南で他のワゴン車と合流する。ここからは3台がコンボイで上高地を目指す。松本インターチェンジから国道158号線に入り沢渡まで行く。ここでタクシーに分乗して10時頃、上高地に到着する。河童橋から全員が歩いて上流の明神池まで行く。
7年前に行った明神池の近くのロッジの隣にある、嘉門次(かもんじ)小屋で11時半頃全員が昼食を取り、岩魚定食を食べる。7年前に上高地に来たときよりも、バスの運行本数が増えているのか、タクシーの利用客はほとんどいなかった。タクシーも客が少ないためか、来るときに乗ってきたタクシーがお迎えに来てくれるということで15時に再びタクシー乗り場に戻る。なおバスは片道一人1,000円であるが、タクシーも一人1,000円というヤミ料金で利用した。タクシーには5人ずつで乗ったため、本来メーターで走れば一人あたりはもう少し安くなったと考えられる。
沢渡から本日の宿泊地である安曇村のペンションに向かう。
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